脳を育むことは、リハビリテーションとは異なりま す。すでに存在する脳が損傷を受けた際に、元の状態に 戻すのがリハビリテ―ションですが、まだ存在していな い脳内神経回路や脳の一部を新たに造って行くのが、「脳 科学と教育」という新しい概念です。このことが重篤な 脳障害をもった赤ちゃんから、偶然、分かったんです。 大変に衝撃的だったんですけれども、磁気共鳴描画装置(MRI)で観察すると、この1歳の乳児の大脳はわずか後 頭部(後頭葉)の一部しか形成されていない。胎児期に 胎盤剥離が起きたのですが、また、胎盤が元に戻ったと いう稀有なケースです。そのために胎内で母体と離れて いた期間に、大脳の発達が止まってしまったのです。わ ずかに残っている後頭葉に検査の光を入れて、その残存 部分が反応するかどうかというのを調べました。
近赤外光の短波長端(波長800 nm 近傍)は、頭皮 から頭の中にも入るんです。さらに、いろいろな光刺激 を、脳波検査用の光源を用いて与えました。そうしまし たら、ここにありますように、目から光が入ったときに、 大脳の残存部が明瞭に反応したのです。小脳はしっかりとあります。小脳も測ってみると、光を当てても小脳の ほうは何も信号が出ない。目から入った光刺激では、小脳は反応しないはずです。このように大脳が、後頭葉の 残存部を除いてほとんど存在しない脳であっても、この赤ちゃんはその残存部で何とか生きようとしているわけ です。
このお子さんを神経科学がご専門のお医者様と一緒に療育をする。療育は大変難しいですけれども、具体的な療育プランも一生懸命、考えました。先ほど述べましたが、それはリハビリテーションの概念にあてはまらなくなるわけです。なぜかというと、この療育は、もともとなかったものを育てるということだからです。一度あったものを失って、それを元の状態にするというのが従来のリハビリテーションのコンセプトなのです。
ですから、このケースですと、特殊な脳から新たな脳の神経回路を育まなくちゃいけない。この結果が、われわれに「脳を育む」とか、「脳科学と教育」という新たな概念をもたらしたと私は考えています。
このような研究をするためには、生きたままのわれわ れの脳の活動を測るような方法を新しく開発しないと何 もできないんです。脳波というのは昔からありましたし、 私たちも以前からやっていますけれども、脳の働きを知るような結果はなかなか出てこないのです。
その理由は、信号が脳のどこの場所から出てきたかというのがよく分からない。なぜかというと、脳自身からは確かに電位差を生じて、電流が脳の表面には出てくるんですけれども、その周りを脳脊髄液というのが覆っていますから、これは生理食塩水と同じようなもので、塩水ですから電気をたくさん通しちゃうんです。
ですから、すぐ電気を通すものが脳の周りにすぐあって、さらにその外側には頭蓋骨という絶縁体に近い骨で覆われている。その外側の頭皮に電極を付けて測っているわけですから、靴の外から足を掻くという状況です。しょうがないんで、周波数成分で見ることが始まり、脳波という名前が付いたのです。
そうじゃなくてそのものずばり、例えば、このデータ のようにどこが活動しているかを画像で直接見てしまう。 そういう非侵襲的イメージング技術が新たに必要です。〈 g.2〉 それで、機能的磁気共鳴描画(fMRI: functional MRI)や脳磁計(MEG: Magneto-encephalography)、そ して光トポグラフィ(OT: Optical Topography)などを 開発し、現実のデータを取ってきたわけです。
細かい原理やデータの話は、時間的にも今日はできませんので、肝心なところだけをご説明したいと思います。 さっきお話しした視覚野における線分の傾きを検知する場合です。大脳の視覚野の異なる場所が分担・分業して、線分の傾きを検知しているお話をしました。傾きというのも何か物を見たときに、その対象の要素の一部になるわけです。
物を見るには、他にもっと違う要素があります。色が付いたり、動きが付いたり、われわれが普段見ているのはカラーの動画のようなものです。そうすると、脳の中ではどうやってその処理しているかということが問題になります。実際には、網膜に映った像をいったん全部ばらばらに分解しています。形と色と動きとを、ばらばらにするわけです。