母学トーク こどもたちは未来〜保育と育児の国際動向〜4

赤ちゃんを知る。そして母になる。

こどもたちは未来〜保育と育児の国際動向〜

講演
小泉英明
(株式会社日立製作所名誉フェロー 公益社団法人日本工学アカデミー上級副会長)

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でも、例えば人間がボールを器用に投げる。カーブやシュートを投げる。微妙な指のコントロールが必要です。 これは把持運動といって、人間が石器から始まって道具を使うために、だんだん発達させてきた新しい神経回路 です。神経回路自身がパワーグリップとは違っています。

脳を考えるときに大事なのは、進化の順番というのがあるということです。進化で最も古いところは脳幹と言われていますけれども、皆さまよくご存じのように、こはちゅう このところは現存している爬虫類の脳と形が似ているんです。そして、脳幹というのは生命を維持する脳である わけです。

その周りに古皮質が進化しました。これは大脳辺縁系 という言葉がありますけれども、両者はちょっとだけ違っ ています。大ざっぱにいうと辺縁系と表現をすることが あるのです。生きる力を奮いたたすにも、意欲とか、情 とか、この場所が大いに関係しているわけです。

一番外側に新しい皮質が進化の最後に発達してきました。これがいわゆる、われわれが知育と称しているもの に直結する脳の部位です。知育ということで、外側の新皮質ばかり教育するというのが現状なんですけれども、 この脳を働かせるためには内側の脳、すなわち辺縁系よって引き起こされる意欲があって、初めて外側の新皮質が 働くわけです。

ですから、意欲とか、やる気のほうを育てないと本末転倒です。知育という学校教育の主たるもの、それだけやっていると知識や技能だけは入るけれども(あるいはマニュアル人間はできるけれども)、自分から積極的に前へ出ていこうということをしない。そんな人間になってしまう可能性があります。ですから、教育を考えるときに、この点は極めて重要だと思います。

実はOECDのPISA(Program for International Student Assessment 生徒の学習到達度調査)は、大規模な15歳 男女の通常の学力調査の他に、意欲の調査も同時にやっています。

意欲の調査というのは分野ごとに順次行います。分野によっては10年とか、15年とか、なかなか順番が回ってこないんですけれども、いろんな意欲を調べます。2000年の半ばに一度行われた科学に関する意欲の調査があります。そのときは六十数カ国が参加しましたが、その中の幾つかの項目では日本が最下位です。

どうしてこの差が出てくるのか。学力のほうは上位に いることが PISA 調査の結果、明らかです。でも、何か おかしいわけです。学習意欲や興味は極端に低水準で、 学力の方は高い。そこでこの学力は受験用の学力ではな いかと考えられ始めています。この学力が高くても、応 用力や創造性は望めないかも知れません。私はその意味 で芸術教育というのは不可欠であると考えています。な ぜなら、脳の深い部分を育むからです。先ほどの意識下の脳幹部、一番外側が新しい皮質で、その内側には辺縁 系があるという脳の構造と機能をきちんと理解する。これが学習や教育に大変重要なのです。ところが今、知育 偏重の日本はそれが欠ける方向に来ている。それを大変 に危惧しているわけであります。

教育というのは日本だけの問題ではなくて、世界の諸問題全てに、教育が基本的に関わって来ている。最後は 教育に帰するという結論が、どのような国際会議、あるいは政策を決めるような会議でも見られるような状態です。

例えば、環境問題。「持続的開発」という概念が徹底して議論された。その結果出てきた結論は、環境の本質的な問題を子どもの時期からきちんと教育しなければならない。みんながそれぞれ環境に対するきちんとした知識を持つように。さらに、どう行動しなくてはいけないかということを教育して初めて、環境問題が最終的に良い方向へ向かうと。そういうふうに教育の問題というのが、必ず最後には出てくるようになって来ています。

例えば、今、世界の経済格差というのが重要な問題になっています。それも世界の50%以上富が、1%以内の人々によって所有されているという事実です。最近では1%どころか、100人以下の人々によって大半が所有されているという事実が判明しつつあります。こういう問題も税制だけでなく倫理教育の問題としても検討され始めています。

それと最近の国際紛争です。これは当然ながら、教育というのが直結した話です。このような広範な教育問題を、今、バチカンの教皇庁科学アカデミーが真剣に議論を続けています。その結果が国連にもかなり反映されていると考えられます。

それから、教育についての国際情報も大切です。新しいものでは『学習の科学』(Science of Learning)と いう学術誌が最近出版されました。ネイチャー出版グルー プは自然科学の雑誌を本業としています。例えば『ネーチャー』(Nature)誌を出版しているところなんです。これはオーストラリアでやったもので、ちょうど新しい学術誌を発刊するための立ち上げの会議だったんです。自然科学系の出版を生業としていたグループも、このように人文学と自然科学の架橋融合された教育分野の学術誌を新しく出版するようになって来たのです。