母学トーク お腹の中のノイズ3

赤ちゃんを知る。そして母になる。

第三回母学会議 赤ちゃんにやさしい街づくり

お腹の中のノイズ

講演
宮廻正明
(東京藝術大学大学院教授)

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そして、ここにあるのがずれを研究した。100分の1 ミリの単位でずれを重ね、密度を上げていくと、だんだんこのぶれが少なくなって、だんだん現実的な姿になっていきます。でも、そうするとだんだんリアリティがなくなってくるんですよね。そういう意味ではこのずれ、ぶれということが、さっきの滴でもいろんなにじみにも出てくるこのずれ、ぶれというものは、子供の持っている脳と大人の持っている脳……。大人はそれをきちっと ぶれないような発想にする、子供は元々がぶれているん だということじゃないかなと思います。次をお願いします。

これは長谷川等伯の松林図なんですけれども、等伯は非常にこのぶれとずれをうまく使っています。これは国 宝なんですけれども、これが日本の絵の人気投票で一番なんです。なぜこれが一番なのかというと、このにじんでいく、ぶれていく。この時期にもうそういう3Dの考え方、人間の本能的なもののにじみというものによって、空間を出すことを覚えているんです。

これを描くときにはどういうふうにして描いていくのかというと、まず普通は濃い、一番手前の松を描いていきます。そしてその次の松を向こうへ描いて、最後に後ろをぼかしていくと思いがちなんですが、それではこの絵は描けないんです。まず一番奥にあるぼけたところから描いていく。ぼーっとした薄いぼけ具合を描いていきます。ぼけ具合からちょっと近景を描いていき、そして近況。最後の、この松のはっきりした黒い松を描くのは一番最後なんです。そうすると、こういう。絵は手前から奥に描いていくと思いがちなんですが、実は奥から手前に起こしていく。これが発想の転換なんです。

子供というのは、ある意味じゃずっとどこから描く、何になるか分からない、全体を決めないで描いていく。 要するに気ままに描いていって、後で何かが決まる。だ から、今、学校教育で画用紙を渡されます。きちんとし た区画の画用紙を渡します。そうすると、子供の一番負担になるのは、まず白い画用紙だということ。2つ目は、 矩形が決まっているんだということなんです。もう一つ、何を描かなきゃいけないかも決まっています。運動会を描きなさい。大人に運動会を描きなさいなんて 言っても描けっこないんです。遠足を描きなさいなんて言われても、遠足なんか描けるわけがないんです。それは題材を決められ、要するに矩形を決められ、白い紙を渡される。これで、絵を描くときに最悪の要素が3 つそろうわけです。

それをするとき、まずは薄くぼわっと、それも矩形に決まっていなくて大きな紙の上にぼわっとした何かを描いていくんです。そうすると、それが何に見えるかなと思うと、例えば木に見えたらちょっちょっとどこかに木の。これが要するに江戸時代の見立てという。何かあったものを見立てるというこういう一つの文化形成になるわけです。

そうすると、この長谷川等伯はやっぱり後ろにぼうっともやを描いている。ぼけた墨で、薄い墨でもやを描い ている。そうすると、ここら辺になんとなく木があるか なというのが頭の中で出てくるわけです。そこに、ちょっ ちょっと墨を足していくんです。墨を足すと奥行きが出 てくる。もう少し奥行きが出てくるんだったら墨をしょっ しょっと足す。この足すのも、筆で描くわけじゃないん です。わら筆といって、わらは穂先のお米を刈り終えた 後に2番の穂が出てくるんです。その穂にはちょっちょっと米粒が付くんです。わらが付くんです。それを取ってきて、それのちょっと先をよじってこの線をしゅっしゅっとしていくと、それがこの松の葉っぱになるわけです。ということは、こういう部分を描かないということが一つの原点なんです。描いたら、ここまでの感覚のものはできてこない。だから、絵というのは描かないこと。それで、子供の絵というのは描かない、それを本質的に会得している。子供の絵を面白く感じるというのはそこな んです。次をお願いします。

もう一つはこの不純物。絵の具を赤い絵の具と青い絵の具を混ぜると、インクを混ぜると、紫色の色ができます。そうすると、それは青でもないし、赤でもない。それが混ざった紫のものができるわけです。それは、融合というんです。日本画の絵の具は紫を作るには、青い粒子のものと赤い粒子のものを混ぜると紫色ができるわけです。でも、それを拡大してみると、中には非常に不純物が混ざっている。黒いのが混ざったり、透明なのが混ざったり。これを混在というわけです。お互いの尊厳を認め合って、色というのは成立するんです。だから、お互いの尊厳を消してしまうと、色は発色しません。色が濁るのは何かというと、紙の上にずっとこすり付けて尊厳を否定してしまうと、絵の具というのは発色しなくなります。だから、絵の具は置いていくんです。優しく絵の具を置いていくと、絵の具は自分の一番安定したところに付いて、発色するんです。

これも、子供も全く同じことで、ああしなさい、こうしなさいとぐっと押し付けてしまうと、子供は発色しないんです。ところが、ある程度自由にしてあげると、その場できらきら輝く発色が生まれるわけです。そういうときは、この絵の具の粒子は、混在と全く同じことがいえるんじゃないかと思います。次をお願いします。

そして、これは『星の王子さま』。『星の王子さま』は 皆さんすごく、こんなのが何で有名になるのか不思議な、 内容が何なのかあまりよく分からないけれども、『星の 王子さま』というと「ああ、いいわね」なんて、非常に 自分で勝手に発酵して、熟成してイメージを持っているんですが、これは何かというと、非現実なんです。非現 実をあったかのように。『星の王子さま』の作品の中には、 つじつまが合わないことがたくさん出てきます。非常につじつまが合わないことをずっと自分の中で発想してい ると、待てよ、これは違うんじゃないかなという発想と、「ま、いいか」という発想が生まれるわけです。その諦 めと、自分から限定する現実とがぶつかり合うと……。 この『星の王子さま』というのは非常にうまく、自分を 否定する部分よりも「ま、いいか」と思う部分の分量が ちょっとだけ多く入れてある。それが、この『星の王子 さま』の面白さです。次をお願いいたします。

昔のテレビはこういうブラウン管で、シャーとノイズ が出ました。今のテレビはなかなかノイズが出ないんで す。今、テレビ局に行って、1テレビ局くれませんかと あの MX テレビに言いに行きました。そしたら社長は、 それは面白いですねとくれそうになりましたが、重役が 5~6人いてその重役が、とんでもない、殿ご乱心をと言って否定されて、もらえなくなりました。実は、このノイズというテレビのシャーという、砂嵐というんですけれども、これは大変な価値を持っている。これは子供の幼児教育と全く同じことがいえると思います。次をお願いします。

芸術は何かというと、芸術は非実証型科学である。科学というのは実証しないと進めません。某人がある細胞のことを発見されて、それで実証できませんでした。でも、なんとなくそんな気がするから「あります」と言われたんですが、それは否定されてしまいました。そういう意味じゃ、芸術は「この絵はいい」と言うと、それがいい。例えばゴッホの絵が、ピカソの絵が、みんながいいと思って、ピカソの絵をけなすと「この人は芸術性がない」と思われてしまうんですが、じゃ、誰がそれを実証したのかというと、実証する根拠は全くありません。あるのは唯一、仮説です。こうしてこうして、こうなるであろうという仮説をもってやるのが芸術の世界。そして、子供はこの仮説というのを無意識のうちに仮説を立てて物をやり始める。それが、芸術と科学の違いというのは仮説を立てる、子供は仮説すら立てない。この物事の理論を成立させないところに、物の面白さがあるわけです。次をお願いします。