母学トーク お腹の中のノイズ1

お腹の中のノイズ

講演
宮廻正明
(東京藝術大学大学院教授)

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どうも皆さん、よろしくお願いします。(拍手)きょ うは、「お腹の中のノイズ」という、皆さんとは全くテ イストが違い、これが果たして母学に結び付くかどうか は定かではないんですが、何とか最後はこの母学に結び 付けたいなと考えております。では、次をお願いします。

これはぼけているんですけれども、ずっと滴が垂れているんですよね。それで、物というのは、こういう物を見るというよりも、こういう滴越しで物を見ると、なんとなくイメージが増して、色はここまで描いてもなんとなく人物に見える。そのものずばりを描くよりも、こういうふうに、まず何を捨てるかというと絵描きは色を捨てる。捨てるには何が必要かというと、物がなければ捨てることができないので、それで小さいときにいろんなことをまず学ぶ。いろんなことを増やしていって、そしてあるところまで増えたら今度は引き算をする。捨てていく。

そうすると、絵を描くときにはまず、音楽は先ほど小泉先生が3歳というんですけれども、絵描きはあんまり 小さいときから絵を描いても役に立たないです。小さいときは大体みんなピカソ。好きなように、太陽は丸く描 いてちゅちゅちゅと描いて、それで太陽。大体これは共 通している。そして、音楽は声変わりというのをするん ですけれども、絵描きの場合は見え変わりという、見え方が変わってくる時期があるんです。これが13歳、14 歳ぐらい。これはどういうふうに見え変わりするかというと、まず小さいときはみんな、太陽、顔の描き方、大 体子供というのは同じ描き方をするんですけれども、13歳、14歳ぐらいになると、写実という物を正確に描 くというところに行くわけです。大体これが正確に描け る能力のある子は絵が好きになります。そして、美大と か芸大を目指す。そこに乗り遅れた、まず正確に描ける ようなところに行けなかった人は絵が嫌いになって、そ れで大体他のまともな道に行くわけです。そして、これが50から60ぐらいになると、もう一度絵を描いてみた いという気持ちが起きてくるわけです。そうすると、そのときは何をするかというと、写実的、正確に描くこと はまあいいや、好きに描けばいいやと思えたのが大体 50~60過ぎに、もう一度絵を描いてみたい。その人たちが集まって今、世の中でカルチャーセンターというものが非常に増えているわけです。

そこら辺の人間の発想というのは、まず写実に行く、そして大学へ入る。大学に入ると今度は、せっかく大学 に入るために努力した写実というものが捨てられないんですよね。そうすると、今度は写実というものの霊に取 りつかれた人がずっと写実のまま行くと、今度はそこでもう一回ふるいがあって落ちこぼれるんです。そうする と、まず写実を手に入れる。そして、固有色を手に入れる。最初にするのは固有色、赤いものは赤く、緑のもの は緑に描くということを捨てるということ、そこが最も大事になって、捨てられた人が大体30ぐらいで第2の絵 描きの関門を突破できる。そして今度はずっと行くと、 形を捨てるという。そうすると、あの大観とかその辺に なると、もうろう体という、形を捨てることができるんです。次をお願いいたします。

これはにじみなんですよね。だから、さっきの滴もそ うなんですが、にじみも、その一つの物を描くんですが、 そこからじわっと形がにじんできて、形がぼけてくるこ とによって、こういうものというのは非常に余裕が出て くる。ちょっと人間の心の中で物を補ってみるという、これが非常に能力があるというんです。子供というのは、それを本当に補うことが上手なんです。天才なんですよね。だから、子供たちはまず物を見たら、そのものじゃ なくて、そこのにじみの部分がすごくたくさんある。そのにじみの部分がずっと少なくなってくると、今度は写 実、固有色というものに入ってくる。次をお願いします。

そして、この雨垂れ。雨垂れも見ていると、同じところから落ちてこないんですよね。想像もつかないところ からぽたぽた落ちてくる。この偶然性。だけど、雨垂れというのはみんな、上からぽたぽた落ちているようなこ の必然性の中に偶然性を伴ってくる。そうすると、思いがけないところから水たまりが出て、それが下にぽとっ ぽとっと落ちていく。この面白さというのは、ある意味では子供に通じる、想像もつかないようなことをすると いうこと。でも、だんだんこれが偶然性から必然性になってくる。これがある意味じゃ、絵を描く写実、固有色と いうものになる。ずっとこのあたりのことというのは、 全部子供が当たり前のようにやっている雨垂れ的な発想なんです。次をお願いします。

ショパンがこの『雨だれ』という曲を作りました。この『雨だれ』というのは、非常に曲の中でランダムにずっ と曲が動いていく。そして、このショパンの『雨だれ』 の面白さというのは、ある意味では想像がつかないふう に曲が進行していく。だから、非常にある意味では子供 に近い、概念とかルールとかそういうものがなく、でも 全然ないわけじゃないんです。さすがにショパンだから ルールはあります。規則性の中にどう不規則性を入れて いくかというのが、大人の芸術家になる一つの要素なん です。でも、子供はその不規則性の中に規則性を少しず つ少しずつ、やっぱり大人になると増えていく。人間の 中の子供と大人の変化というのは、そういうところじゃ ないかと思います。次をお願いします。