伊東:
北代先生も、この本に書かれております。様々な心のスイッチの入れ方に対して論評されていらっしゃいますが、この本の特に読むべきところはどこですか。
北代:
そうですね、実は私は母になった経験がありませんが、この本を読んだ時に、あたかも自分が母になることを追体験しているような気持ちになりました。母親になるというのは、実に素晴らしいことなのだなと感銘を受けました。小泉先生も仁志田先生もおっしゃいましたが、やはり母学というのは相手を思いやる気持ちがその根本にあるという意味で、これからの日本社会に寄与するところが大きいのだろうと思いました。
伊東:
今回、芸術も含めて、母学として小林先生は書かれました。海外にこれから国際的にこの運動を発信していくために、フランス語でいうアッシュの音、英語でいうH の音が読みにくい地域もありますので、「ぼがく」というふうに音読みをさせていただいております。芸術の真の重要性、もしくは役割というものがここに書いてあると私は思います。そこで宮廻先生も随分感銘を受けられたということで、お話を一言お願いします。
宮廻:
先ほど小泉先生のお話、映像を見せていただいて、この母学と芸術は表裏一体というか、フラクタル状態で、同じ根があると思いました。まず先生のお話の中に螺旋というものが出てきましたが、私も絵のテーマも螺旋です。ずっとものが繰り返されていく、ある意味では極めないということです。螺旋というのは始めもなければ終わりもありません。 残っている絵の中には螺旋形態が存在しているものが沢山あります。バベルの塔もそうですが、二次元の螺旋と三次元の螺旋があります。それから興味があるのは、先生のお話の中に出てきた縦縞のお話で、粋なのは縦縞で、野暮なのは横縞だというものがありました。 芸術の中にも縦と横があり、そして絵描きは縦の線は気になりませんが、横の線は気になります。横というのは目が横にふたつ付いているため無意識のうちにバランス感覚をとります。そのため横縞は狂って見えやすく縦縞は狂って見えづらいのです。その事を先生は科学的に分析されています。